清涼寺

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清涼寺

天蔵山の南の麓である東大門区清涼里洞61番地には、比丘尼が居所する清涼寺がある。新羅末期に創建されたと伝えられる清涼寺は、高麗禮宗が?資玄を呼び、特に優待し、ここに泊まらせたという記録がある。

金正浩(キム・ジョンホー)先生の大東與地図の‘更造’分をみると、三角山の一流である天蔵山の西麓に比丘尼寺であるトルコッジスンバンがあり、再び南へと山を越えると清涼寺があると描かれている。今の清涼寺は、1896年明成皇后の洪陵を現在の林業研究院の場所に造成しながら朝鮮朝の城外に4大比丘尼僧部屋の一つである「トルコッジスンバン」の場所が陵の場所となり、清涼寺の昔の寺跡である現在の位置に移して、殆ど廃墟化した清涼寺は昔伽藍の姿を取り戻すようになった。

清涼寺は、韓末には、都城の人々が多く訪ね休む休養地だった。日本支配で国が困難に落ちた時には、多くの愛国志士と高僧が訪れる所でもあった。特に、日本抵抗の時期に独立運動と仏教運動を導いた満海・韓龍雲(ハン・ヨンウン)先生が一時期清涼寺に泊まったといわれ、1939年7月12日に韓龍雲先生の還暦の祝宴がここで素朴に開かれたという。

同じ時期に仏教界の学者である朴漢永(パク・ハンヨン)もこの寺で泊まり、大防に掛かれた清涼寺の懸板の文字は、朴漢永の作品である。